福岡地方裁判所 昭和50年(行ウ)27号 判決 1978年5月16日
原告
西日本重機株式会社
右代表者代表取締役
一ノ瀬淳光
右訴訟代理人弁護士亡古川公威訴訟復代理人弁護士
三浦啓作
同
奥田邦夫
被告
福岡県地方労働委員会
右代表者会長
副島次郎
右訴訟代理人弁護士
高森浩
同
有馬毅
右指定代理人
進藤英輝
(ほか三名)
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が、別紙記載の不当労働行為救済申立事件について、昭和五〇年七月二九日付でなした命令中、別紙記載の主文1ないし3項の部分は、これを取消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する被告の答弁
主文同旨。
第二当事者の主張
一 請求原因(原告)
1 原告は、建設機械の販売、修理、部品販売等を業とする株式会社である。別紙記載の不当労働行為救済申立事件の申立人らは、原告につき不当労働行為該当の行為があったとして、被告に対して別紙冒頭に標記の救済申立をなし、被告は、昭和五〇年七月二九日付で別紙命令主文の如き救済命令を発し、命令書は、同年八月二九日、原告に交付された。
2 しかしながら、右命令中請求の趣旨第1項記載の部分は、事実の認定ならびに法律上の判断を誤った違法がある。
即ち、原告が、訴外山崎高幸に対してなした警告並びに総評・全国金属労働組合福岡地方本部博多古賀地域支部西日本重機分会(以下西重分会という)のストライキに関する昭和四九年夏季一時金算定上の扱いは、正当な理由があった。
(一) 就業規則第五条は「従業員は、職場の秩序を維持するため、次の事項を守らなければならない。」「(13)許可なく集会、放送、演説、張紙、印刷物の配付、その他これに類する行為をしないこと。」と定め、実際の運用も商品の宣伝、生命保険等の勧誘、パンフレットその他一切の印刷物の配付は総務部長の許可を得て行われていた。
更に、原告の場合、肩書地(略)に本社と福岡工場があるが、福岡工場の敷地は、非常に狭く、始業時前であるか、昼休みであるかを問わず、ユンボ、パワーショベル等の重量機械が常時搬入搬出され、あるいはトレーラーが回転してきわめて危険であった。従って、原告は、安全保持には神経質ともいえる程の配慮をなし、そのため従業員には規律遵守をやかましく要求して、規律のみだれ、従業員の志気の弛緩を警戒していた。
訴外山崎は、原告の従業員で西重分会の分会長であったが、昭和四九年三月四日、重量機械の搬出、搬入がもっともはげしい場所である工場敷地で、始業時刻前ではあったが、社構内に入っている下請業者や社外の運転業者あるいはユーザー自身による諸機械類の搬出入が行われている時間帯である午前八時三〇分頃、原告の許可を受けることなくビラを配付し、更に同日昼休み時間に従業員控室において同様無許可でビラを配付し、もって就業規則に違反し、社内の規律をみだした。
よって、原告は、社内の安全対策上の見地から、規律がみだれることを憂慮し、訴外山崎に対して注意、警告を発した。よって、かりに原告が訴外山崎に対して、被告が救済命令で認定しているように「後日責任を追求する。」というような警告をしたとしても、それによって組合活動に介入するような意図は全くなかった。これは全く原告の営業がいわゆる事故多発業種に属し、特に安全性を要求されていることから発したもので、右警告は十分に合理的な理由があり、それによって組合が蒙る打撃も僅少であって、当然に甘受すべき範囲内に止り、使用者の言論の自由の範囲内の言動である。
被告は、本件救済命令において、前記訴外山崎のビラ配付行為について、経営秩序がみだされたり、企業活動に支障を生じたりした事実がない旨認定した。そうして原告のなした警告をもって威嚇であり、正当な組合活動に対する支配介入であると判断しているが、これは事実を誤認し、法律上の判断を誤ったものである。
(二) 夏期一時金(いわゆる賞与)も賃金であり、各期の労働の対価の性質を有する。しかして、争議時において労働者は、労務の提供をなさないから、これに対応する賃金請求権は生じない。従って、ストライキによる不就労の期間があるときは、賞与の計算にあたってこれを控除しても不合理はなく、そのことはストライキに対する制裁の意味を持つものではない。さらに賞与が付加的に功績ほう賞的性格、利益分配的性格をも有していることを考えるならば、功績がなかった分、ストライキによって利益をあげられなかった分を賞与に反映させることは、当然である。仮りにストライキを行った場合に、これを控除しないとすれば、その部分は使用者より労働者への贈与という性格を有することになり、経費援助(労組法第七条三号)に該当する。
本件昭和四九年度夏季一時金の算定期間内である昭和四八年一〇月二一日から昭和四九年四月二〇日までの間、分会は四回にわたるストライキを行った。原告は、修理による工賃収入を主たる営業収入となし、ストライキによって修理関係要員(全従業員の約九〇%が修理関係要員である)が就労しなければ、原告はその工賃収入(これは工員一時間当りの工賃単価を基礎にして算出される)を失うから、その分を当該工員の夏季一時金の計算で勘案するのは当然である。
原告における賞与計算方法は、昭和三六年八月会社創立以来実施されて来て、慣行として確立している。出勤率を賞与に反映させることは、賞与支給の都度、従業員に口頭告知され、そのことは従業員周知の事実である。本件においても、その慣行として確立された計算方法に基づいて夏季一時金の算出をしたもので、不当労働行為の意思は全くなかった。
更に、本件のいわゆるストライキ控除は、支給総額の一・八%(一人当り平均二、八八八円)にすぎず、ストライキにおける不就労に対応した合理的な範囲内での控除であって、争議権を抑圧するものではなかった。
仮りに、賃金について、従業員たるの地位に基づいて支払いを受ける部分と、日々の労働に対応して支払われる部分とにわけることができるとしても、原告の場合賞与は、基本給を基礎として支払われる。そうして、基本給は具体的な労働に対応して支払われる賃金であって、賞与もまた労働に対応して支払われる性格を有する賃金である。従って、本件夏季一時金の支払にあたり、原告がストライキに参加した従業員について、それに応じて控除を行ったのは、当然である。更にいえば、そもそも賃金の性質を右のようにわけることができるとしても、それは労使関係が平常に保持されている場合のことであって、相互に敵対関係に立つ争議中は、適用されないと解するのが正当である。
従って、被告は、このいわゆる「カット」をもってストライキに対する制裁と断定し、正当な組合活動を理由としてなされた不利益取扱いであるとして不当労働行為を認めたが、これは事実を誤認し、法律上の判断を誤ったものである。
3 よって、本件救済命令は違法であるから、取消されるべきである。
二 請求原因に対する答弁(被告)
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2のうち、本件救済命令(請求の趣旨第1項記載部分)が、事実の認定及び法律上の判断を誤ったものであるとの主張は争う。
3 ビラ配付行為に対する原告の文書警告は、不当労働行為に該当する。
(一) この点に関する原告主張の事実のうち、訴外山崎が原告の従業員で西重分会長であったこと、同人が、昭和四九年三月四日の始業時刻直前に工場敷地でビラを配付し、更に同日の昼休みに従業員控室でもビラ配付をしたこと、これに対して原告が文書警告を行ったことは、認める。
(二) 原告は、右が就業規則違反の行為であったこと、従って原告としては安全対策上右の就業規則違反(職場規律紊乱)を看過できず、文書警告を行ったと主張する。
しかし、当時原告の当該工場敷地では毎日従業員がフリーテニス、キャッチボール、バレーボール、バドミントンなどを行い、原告もこれを禁止することはないばかりか、むしろ奨励していた。この工場敷地内利用についてかつて安全対策上問題とされたことはなかった。また以前、社内に親睦団体として「みどり会」という団体があり、無許可でビラを配付した事実もあったが、これについて原告が警告を発したことはなかった。更に当該工場敷地は、従業員の出・退社時の通路として利用されてもいたが、原告は同敷地を通行することについて、特に場所的又は時間的制限を設けるなどの処置をとったこともなかった。そうして、訴外山崎の本件ビラ配付についていえば、昼休みに従業員控室で配付したことについてはもともと安全対策上の問題が生ずる余地がなく、また工場敷地でビラ配付をしたときも、当時工場敷地内で重量物の搬出、搬入は為されていなかったし、時期的にみても、重量物の搬出・入はすくない時期であった。
以上の如く、安全保持を理由とする原告の本件ビラ配付についての主張は、実質的な根拠に乏しいといわざるを得ない。
そうして、組合側が工場敷地内でビラ配付をしたのは、本件三月四日がはじめてであり、原告はこれに対し、口頭注意も行わず、いきなり文書警告をもって後日の処分を予告するかの如き強い姿勢を示して来たこと、当時原告は分会所属の組合員らに対し脱退工作を行い、団体交渉でもトラブルを生じていたことの諸事実関係があり、これらの状況を綜合すれば、本件警告は、原告が、組合を敵視し、分会長訴外山崎が正当な組合活動をしたことを形式的な就業規則違反にとらえてこれを威嚇し、組合活動に対する支配介入を行う意思があったことは明らかである。
4 夏季一時金の算定にあたり、ストライキを欠勤扱いとしたことは、不当労働行為に該当する。
(一) この点に関する原告主張事実のうち、分会が原告主張の如くストライキを行ったことは、認める。
(二) この点に関する原告の主張は、労働者が憲法第二八条に保障された団体行動権の行使として行うストライキの「不就労」面のみをとらえて通常の欠勤と同一視しようとするものである。
被告も、労働者がストライキを行うことによって、その間の賃金請求権を失うこと(賃金債権が発生しないこと)に異を唱えるものではない。しかし、通常の欠勤は、権利行使ではなく、労働者が就労義務を負うのに就労しない場合であって、そのために不利益に扱われるのである。被告はその欠勤とストライキによる「不就労」とを同一に扱ったところに不当労働行為の意思があると判断するものである。
更に原告は、ストライキによって工員が出勤しなければ、その分の工賃収入を失うから、その分を賞与計算で勘案するのは当然というが、これは「ストライキによって使用者が蒙るべき損失」を当然にストライカーの不利益に考慮しようとするもので、ストライキ権を否定するに等しい。即ち、ストライキの場合、使用者としては労働者の要求を受け容れるか、それともそれを拒否して不就労による不利益を甘受するかの二者択一を迫られるわけで、そこにストライキ権が使用者への対抗手段として認められた意味があるわけである。
次に原告は賞与計算方法の慣行性をいうが、それは単に原告(使用者)が一方的に実施して来た方法だというにすぎず、本件でこれが慣行として法認されて来たという事実はない。また、ストライキと欠勤とは全く性質を異にし、原告においては本件分会結成前にストライキが行われた事実はないのであるから、慣行が生じる余地もないわけである。そうして、このようにみてくると、控除金額の多寡は問題でないことが明らかである。また、一人平均二、八八八円という金額は労働者にとって決して無視し得る額ではない。
また、賞与は、具体的労働時間に対応して支払われる賃金ではない。通常賞与額の算定に当該従業員の欠勤日数が考慮されるのはあくまで勤務成績をみる一つの資料としてにすぎない。前述の如く、ストライキは労働基本権行使の一態様であり、その故に勤務成績を低く評価されるいわれはない。従って、賞与の算定にあたっては、ストライキを行った日数を当該労働者が就労義務を負う全日数から控除し、これは欠勤として扱わない配慮が必要である。
このように原告はストライキを欠勤と同一視し、そのこと自体不当労働行為の意思が推認される。そうして原告は、かねてから西重分会を闘争至上主義であるとして嫌悪していた事実があり、このことを考えあわせると、本件の夏季一時金のカットは、ストライキという正当な組合活動に対して制裁として行われた不利益取扱いであることが明らかである。
第三証拠(略)
理由
一 請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。
二 ビラ配付について
1 訴外山崎高幸が原告の従業員で、西重分会長であったこと、同人が昭和四九年三月四日の始業時刻直前に、工場敷地でビラを配付し、更に同日の昼休みに従業員控室でもビラを配付したこと、これに対して原告が文書警告を行ったことは、当事者間に争いがない。
2 右の争いなき事実に、(証拠略)をあわせると、以下の事実が認められる。
(一) 総評全国金属労組傘下の西重分会は、昭和四九年一月六日、原告の従業員約一二〇名中五五名によって結成され、訴外山崎高幸は、分会長に選任された。それまで、原告に労働組合はなく、西重分会は結成と同時にこれを原告に通告し、住宅手当、結婚資金、宿・当直手当の各要求、精勤手当増額、組合事務所貸与、時間外協定締結、組合掲示板設置、営業所勤務手当等の各要求を提示して団体交渉を求めた。しかし団体交渉は、出席者の問題(団体交渉に原告の従業員ではない全国金属労働組合福岡地方本部あるいは同博多古賀地域支部の役員の出席を認めるか否か)その他交渉ルールの点で難航し、本題の協議にはいることができなかった。
さらに原告は、右西重分会の結成通知をうけるや、従業員が労働組合を結成したこと、特に総評全国金属労働組合に加盟したことを嫌い、団結への介入をはじめた。即ち同年一月八日頃からあるいは管理職以外の全従業員を工場長が個別に応接室に呼んで組合に加入しているか否かを問いただしたり(北九州工場)、また本社工場の安村整備課職長は訴外山崎分会長に対して「全国金属の組合ではなく社内だけの労働組合にすること」を要請したり、そのほか木村整備課長、寺岡サービス課長、木下サービス部次長らも多くの組合員らに全国金属労働組合からの脱退を勧めた。
(二) これに対して右全国金属労組福岡地方本部博多古賀地域支部は、福岡県地方労働委員会に不当労働行為救済申立をなし、また西重分会は前記八項目の要求貫徹を目指して同年二月頃から残業拒否闘争をはじめた。
そうして、団体交渉については、同年二月二日、同地労委の和解勧告により、組合側交渉委員として西重分会役員に全金博多古賀地域支部役員一名を加えること、事前の事務折衝で日時・場所・議題・時間・出席者等を確認することなどを骨子とする協定が成立した。
しかし、右によって開かれることとなった同年二月八日の団体交渉において、原告は、八項目の組合要求に対し、組合事務所貸与を断ると共に、金銭要求に関する部分は全て回答を避け、春の定期賃金改訂時まで回答を留保すると答えた。そこで西重分会は、これを不満とし、同月一六日頃からいわゆるリボン闘争、腕章闘争をはじめ、原告側の警告にもかかわらず、これを中止しなかった。
(三) 更に、これらの組合活動に加え、西重分会は、結成以来しばしば原告(会社)の構外道路上などで、教宣ビラの配付をしていたが、原告が金銭上の要求に対する回答を留保したままでそれ以上の交渉進展がのぞめなくなった時期である昭和四九年三月四日の始業時刻直前である午前八時二五分頃(始業は午前八時三〇分)、分会長である訴外山崎高幸は、福岡市東区下和白の福岡工場敷地内の、西側にある国道三号線に通じる正門の内側、守衛室前及び第一工場前付近で、「労働者の要求に会社は一日も早く有額回答を」と題し、分会員の団結により要求の実現を目指すべきことを内容とする教宣ビラを従業員らに配付し、さらに同日昼休み中、同工場第二工場二階従業員控室でも同様従業員らにビラを配付した。右配付ビラの総数は、約一〇〇枚に上ったが、原告の就業規則第五条は「従業員は、職場の秩序を維持するため、次の事項を守らなければならない。」としてその一三号に「許可なく集会、放送、演説、張紙、印刷物の配付、その他これに類する行為をしないこと。」と定めてあって、訴外山崎が右ビラを配付するにあたり、原告の許可をうけていなかったことから、原告は右山崎の行為を就業規則に違反する行為であるとした。なお、就業規則第五八条一号は、就業規則違反者は懲戒とする旨規定している。そこで原告は、同日付の警告書と題する同分会長あての書面をもって、「会社施設内で、使用者の意思に反して行われた挑発的態度であり、違反行為であるから厳に慎むよう注意をすると共に、後日責任を追求するのでその旨申入れる。」と警告した。
(証拠略)中、右の認定に反する部分は措信し難く、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。
三 夏季一時金について
1 西重分会が、原告主張の如くストライキを行ったことは、当事者間に争いがない。
2 右の争いなき事実に、(証拠略)をあわせると、以下の事実が認められる。
(一) 前記の如く昭和四九年一月六日、原告の全従業員約一二〇名中五五名によって西重分会が結成された後、同年三月四日、約三〇名の従業員によって西日本重機労働組合が結成された。
(二) そこで、原告は、昭和四九年度の夏季一時金については、両組合と交渉することとなったが、右一時金について西重分会は基本給の三カ月分を、西日本重機労働組合は三・五カ月分を夫々要求していた。そうして同年七月一七日の団体交渉において、両組合共、基準支給額を基本給の二・三五カ月分とすることで合意が成立し、同月二〇日、その支払いがなされた。
(三) ところで、原告の場合、賞与(夏季、冬期各一時金)の配分については、賃金規則上は支給対象者及び計算の基礎となる期間を定めたのみで、具体的には「別に定める基準による」(第二三条四項)とされているだけであったが、従前から「基本給×出勤率×在社率×職級倍率×支給月数×考課率」の計算式を用いていた。
右のうち出勤率の算定は、夏季一時金の場合、前年一〇月二一日から当年四月二〇日までを計算期間とし、出勤すべき日数から年次有給休暇と特別休暇による休務日を除き、残余について二日迄の欠勤を九九%とし、以下欠勤日数が増加するにつれて次第に出勤率(%で表示)を減少せしめ、欠勤日数一八一日で出勤率一%に至る方法がとられていた。なお、遅刻・早退は三回をもって欠勤一日とみなし、但し半日以上の遅刻・早退は二回をもって欠勤一日とみなしていた。
ちなみに職級倍率は、係長を一・〇七、係長代理・班長を一・〇五、一般従業員を一・〇〇、女子従業員を〇・九〇としていた。考課率は、まず〇・七五を一律に配分し、あと〇・二五について査定した勤務成績に応じてAないしEの五段階にわけて考課配分を行っていた。なお考課を行う期間は、夏季一時金の場合、前年一二月一日から当年五月三一日までとなっていた。
(四) そうして、各人の支給額が算出されてみると、西重分会に属する従業員は、出勤率計算期間中に前記の八項目要求や組合員の転勤問題に関して四回にわたるストライキを行っていて、このストライキによる不就労を原告が欠勤と同視して出勤率を決定したため、ストライキを行わなかった西日本重機労働組合員にくらべ平均して一人あたり二、八八八円、額に対する割合で一・八%の減少となった。さらに、職級の点をみても西重分会員に低い職級の者が多く、また考課上の査定も全体として低く査定された者が西重分会員に多かった。
(証拠略)中、以上の認定に反する部分は措信し難く、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。
四 不当労働行為
1 訴外山崎分会長がビラ配付をしたことに対する警告行為について
(一) (証拠略)によると、被告は、就業規則におけるビラ配付等許可制の採用は、一応施設管理権の行使の一態様として肯認しながら、その施設管理権が侵害されるのは、当該労働者の行為(本件ではビラの無許可配付)によって経営秩序が乱され、企業活動に支障を生ずる場合であると限定している。そうして、訴外山崎分会長は原告の施設管理権が及ぶ工場敷地及び従業員控室でビラを無許可で配付したが、それは始業開始前並びに昼休み時間という使用者の労働指揮権の及ばない時間であったこと、またその結果特に経営秩序が乱され、企業活動に支障が生じた事実が認められないことをもって、右訴外山崎の行為が、施設管理権を侵害した事実はないものとし、そのビラが分会員に団結を呼びかける内容のものであったことを前提として正当な組合活動と認定し、これに対する前記認定の如き内容の警告は、正当な組合活動を威嚇するもので、組合運営に対する支配介入である認定した。
(二) 前記認定の就業規則第五条一三号の規定によれば、原告が印刷物の配付を許可制にした趣旨は、その有する施設管理権に基づき、その印刷物の内容を事前に知る機会を得てことさら原告を誹謗するなどの不当な内容の印刷物が従業員に配付されることを防ぐと共に、配付の手段方法を予め規制する機会を得ることにより、構内における安全秩序を維持して、もって経営秩序が乱され企業活動に支障を生ぜしめないようにした点にあることは明らかである。
他方前記認定の如き本件ビラの内容、配付のいきさつからみると、本件ビラ配付は、組合(西重分会)の情宣活動の一環として、組合員の団結心の昂揚、情報伝達等を目的とし、あわせて原告に対する要求の表明を行ったもので、組合活動として極めて重要なものであったことも明らかである。なおそのビラの内容が特に原告をことさら誹謗するなど不当なものであったことを認めるに足る証拠はない。
従って、本件ビラ配付行為が形式上は一応就業規則に違反するようにみえながらなお正当な組合活動として評価されるべきものか否かを決定するには、右の如きビラを配付することの必要性と、その配付の態様が「職場の秩序」をみだし、それによってどの程度の業務上、施設管理上の支障が生じたかを比較較量してこれを行うべきものである。
(三) まず訴外山崎分会長による本件ビラ配付が始業時刻前並びに昼休み時間に行われ、特にそのために喧噪や混乱を生じたことも認められず、この点従業員の就労を妨害したりして職場の秩序を乱し、原告の業務を阻害した事実のないことは明らかである。
原告は、施設内における安全保持に対する障害をいうが、その主張は要するに原告の業務の特殊性をあげ、就業規則違反=規律のみだれが安全の侵害に通じる故に、本件ビラ配付を行った訴外山崎は、就業規則違反の責を免れないとする図式を示すに止るものである。なるほど、(証拠略)によると、本件工場敷地は原告主張の如き重量物の搬出入の通路として利用されまた工場棟その他施設にかこまれてさほど広いともいえない事実が認められる。しかし他方(人証略)によれば、この敷地は当時、休憩時間など従業員がキャッチボール、フリーテニス等のスポーツをする場所としても利用され、また従業員の出退勤時の通路ともなり、原告も別にこれらを禁じていたわけではなく、また全立証を検討しても訴外山崎がこの工場敷地でビラを配付していたとき、重量物の搬出入等が行われていてその妨害となったり、事故発生のおそれなど保安上の危険を生じたりした事実を認めるに足る証拠はない。また昼休み時間のビラ配付は、前記認定の通り従業員控室で行われ、保安上の問題が生じる余地はなかったものである。してみると、この点でも業務阻害その他原告の企業活動に特段の支障が生じた事実はなかったといわなければならない。
(四) 他方前記認定の如き本件ビラ配付にいたる事情によれば、組合として前記の如き本件ビラの配付を行って情宣活動をする必要性は十分あったと認められ、これらの諸事情をかれこれ勘案すると、訴外山崎の本件ビラ配付行為は正当な組合活動であって、就業規則違反をもって律することはできないと解するのが相当である。
従って原告が行った右訴外山崎に対する警告行為は、正当な組合活動に対する威嚇であって、組合運営に対する支配介入に該当し、労組法第七条三号の不当労働行為にあたると解するのが相当である。
2 夏季一時金の配分におけるストライキ日数の評価方法について
(一) (証拠略)によると、被告は、ストライキにおける不就労を賞与の配分にあたって考慮すること自体を違法と断定しているわけではなく、前記の如き配分計算式を前提として、基本給に出勤率を乗じた金額にその余の要素(係数)をすべて乗じて具体的な金額を算出する方式がとられている場合、ストライキによる不就労の日数をそのまま欠勤日数として算入することは、それがストライキを予想してつくられたものでないだけに合理性を欠くと判断しているわけである。そうして、別途認定にかかる原告が西重分会の闘争主義を嫌悪していた事実とあわせて、原告が夏季一時金の算出にあたりストライキを欠勤と同視して処理したことが、ストライキに対する制裁行為にあたり、正当な組合活動に対する不利益取扱いであると認定したものである。
(二) 原告における賞与配分の算定が、前記の如くまず当該労働者の基本給に出勤率を含む各要素の係数を乗ずる方式を採用していたことからみると、原告における賞与はまず各期の労働に対する対価、利益配分、功績ほう賞的性格のものとされ、いわゆる生活補給金的性格は全くないとはいえないにしても二次的なものであって、ストライキによる不就労を合理性の存する範囲内で考慮することが全く許されないとはいえないと解することはできる。しかし前記の如く、本件労使においては西重分会が結成されるまで労働組合はなかったもので、賞与からストライキ控除を行う問題に関して労使間の合意や慣行が成立していたことを認めるに足る証拠はない。従って、仮りにストライキ控除を行うにしても、争議権が法認されている趣旨にてらして、これを不当に制約しないよう十分に合理性を持った計算方法によらなければならない。
(三) 本件における「ストライキ控除」は、前記の如くストライキ日数を欠勤日数と同視して出勤率を決定し、基本給にその出勤率を乗じさらに在社率から考課率にいたる要素の係数を順次乗ずるものである。従って、その出勤率は全部の算定要素とすべて計算上関連し、本来就労義務を負いながらその履行をしない(場合によれば債務不履行の責を免れない)欠勤については、右の計算方式が合理性を持つとはいえても本来法によって認められた権利の行使であるストライキを右の欠勤と同様に扱うことは、合理性がないと判断するのが相当である。
そうして、前記認定の如く、原告は特に総評全国金属労働組合に西重分会が加盟していることを嫌い、組合員各自に上部団体からの脱退を勧誘したことが事実、また前記認定の如く訴外山崎分会長の正当な組合活動である教宣ビラ配付についてもこれに支配介人を行った事実をあわせて考えると、夏季一時金の算定にあたって、ストライキと通常の欠勤を同視し、特に出勤率の決定にあたっては、二日半のストライキを三回までの欠勤と算定した事実もあり(<証拠略>)、ストライキに対する制裁として労働組合の正当な行為をしたことに対する不利益取扱いを行ったもので労組法第七条一号の不当労働行為にあたると解するのが相当である。
五 してみると、同旨の判断に基づき、原告の、ビラ配付行為を理由とする訴外山崎分会長に対する警告行為及び昭和四九年度夏季一時金の算定にあたって、西重分会員の行ったストライキを欠勤扱いとした行為を不当労働行為であると認定し、その禁止、取消及び回復と陳謝文の交付を命じた被告の本件救済命令(別紙参照)は、相当であって、他にこれを取消すべき瑕疵はないといわなければならない。
六 よって、原告の本訴請求は理由がなく、棄却を免れないから、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡野重信 裁判官中根与志博、同榎下義康は転勤のため署名押印できない。裁判長裁判官 岡野重信)
(別紙)
福岡労委昭和四九年(不)第七号、同第一九号不当労働行為救済申立併合事件
右第七号事件申立人 総評・全国金属労働組合福岡地方本部博多古賀地域支部
執行委員長 田中松行
右第一九号事件申立人 総評・全国金属労働組合福岡地方本部
執行委員長 毛利道隆
被申立人 西日本重機株式会社(原告)
代表取締役 一ノ瀬淳光
主文
1 原告は、西日本重機分会分会長山崎高幸の昭和四九年三月四日したビラ配付に対し、後日責任を追求する旨威迫して、同分会の活動に支配介入してはならない。
2 原告が昭和四九年夏季一時金につき、西日本重機分会の決行したストライキを欠勤扱いした措置を取り消し、右措置がなかったものとして取扱わなければならない。
3 原告は申立人等に対し、それぞれ下記陳謝文を交付しなければならない。
4 (申立棄却部分省略)
記
陳謝文
当社は西日本重機分会分会長山崎高幸の昭和四九年三月四日したビラ配付に対し、後日責任を追求する旨威迫して同分会の活動に支配介入し、昭和四九年夏季一時金につき、西日本重機分会の決行したストライキを欠勤扱いして、不利益取扱いをし、以て不当労働行為をしたことを陳謝します。
昭和 年 月 日
西日本重機株式会社
代表取締役 一ノ瀬淳光
総評・全国金属労働組合福岡地方本部博多古賀地域支部
執行委員長 田中松行殿
総評・全国金属労働組合福岡地方本部
執行委員長 毛利道隆殿
(以下は本別紙では略されているが、参考のため付する。…編注)
理由
第一 認定した事実
(1) 当事者
西日本重機株式会社(以下「被申立人会社」という。)は昭和三六年八月設立された建設機械の販売及び修理並びに部品の販売を業とする株式会社であって、東京に本社を有する三菱系の新菱重機株式会社の子会社に属し、福岡市下和白に本社及び福岡工場を、北九州市小倉区に北九州工場を、福岡市博多区に福岡営業所、久留米市に久留米営業所、飯塚市に筑豊営業所を有し、従業員数は約一二〇名である。
全国金属労働組合福岡地方本部(以下「申立人本部」という。)は福岡県及び佐賀県下にある金属関係工場、事業場の従業員によって結成された労働組合で、その組合員が同時に全国金属労働組合にも個人加入している関係で、この組合の下部機構たる性格を有している団体であり、全国金属労働組合福岡地方本部博多古賀地域支部(以下「申立人支部」という。)は福岡市及びその周辺地域内にある金属関係工場、事業場の従業員によって結成された労働組合で、その組合員が同時に全国金属労働組合及び申立人本部に個人加入している関係で、これ等両組合の下部機構たる性格を有している団体であり、また全国金属労働組合福岡地方本部博多古賀地域支部西日本重機分会(以下「西重分会」という。)は昭和四九年一月六日被申立人会社従業員五五名によって結成された労働組合で、その組合員が同時に全国金属労働組合、申立人本部及び申立人支部に個人加入している関係で、これら三組合の下部機構たる性格を有している団体であるが、西重分会の組合員数は現在三五名に減少している。
なお被申立人会社内には西重分会の外に昭和四九年三月四日結成された西日本重機労働組合があり、その組合員数は三一名である。
(2) リボンないし腕章着用
西重分会の結成された翌一月七日申立人支部執行委員長田中松行及び西重分会長山崎高幸は連名を以て被申立人会社に対し、分会の結成を通告するとともに、(1)住宅手当一八、〇〇〇円、(2)結婚資金三〇、〇〇〇円、(3)宿直手当一日分、当直手当二日分、(4)精勤手当五、〇〇〇円増額、(5)組合事務所の貸与、(6)時間外協定の締結、(7)組合掲示板の設置、(8)営業所勤務手当(寮入居者のみ)を要求する、回答日一月一二日正午までとし、団体交渉を同日定時後から行なう旨の要求書を交付した。その結果同月一二日及び一九日の両日に亘り労使間に団体交渉が開かれたが、両日共単に団体交渉のルールに関する話合いだけに終始し、申立人支部及び西重分会からの要求事項の協議に入ることができなかったため、西重分会は被申立人会社に誠意が認められないとして、同月二四日から残業拒否の闘争を開始した。
ところがこれより先、被申立人会社の安村職長、木村、小野、寺岡、木下課長等が同月九日、山崎分会長、堤執行委員、梅田分会員等に対して全金は赤だから組合を脱退するようにとすすめたこと及び団交拒否について申立人支部は当地労委に対し、不当労働行為救済の申立をし、この事件は当地労委昭和四九年(不)第二号事件として係属していたが、審査委員から和解を勧告した結果、同年二月二日労使間に、
<1> 会社及び組合は労使対等の精神に基づき相互の立場を尊重し正常な労使関係を確立するように努力する。
<2> 団体交渉を次の要領で速かに開始する。
(イ) 組合側交渉委員は西日本重機分会役員及び当面博多古賀地域支部役員一名とする。
(ロ) 事前に事務折衝をもち、日時・場所・議題・時間・双方の出席者名簿を確認する。
(ハ) 交渉に当っては双方誠意を以て問題解決に努力する。
<3> 組合は本申立を取下げる。
という条項の和解協定が成立した。
そこで早速、右協定の趣旨に則して同月八日団体交渉が開始されたのであるが、その席上被申立人会社は口頭を以て申立人支部及び西重分会の前記要求事項中、単に宿日直の廃止、掲示板の設置(但し設置の日時及び場所は未定)及び三・六協定締結の意思を有することを表明しただけで、組合事務所の貸与を拒否し、更に諸手当に至っては、石油パニックにより経営が悪化したこと及び会社としては賃金体系全体に亘る改訂を来る四月に行なう予定にしており、目下その準備中であるから現段階における回答は不可能であることを理由として、金額的にゼロ回答をし、且つ、その後同月一四日付文書を以て同様の回答をしたので西重分会は大いにその回答を不満とし、直ちにこれに対する抗議と団結強化の趣旨を以て、分会員全員は同月一六日頃から思い思いに、或は幅約二センチメートル、長さ約八センチメートルの赤色のリボンを胸につけたり、或は腕章を腕に巻いたり、或はリボン及び腕章の双方を着けたりして闘争体制に入った。会社はこれに対して、同月一九日付申入書を以て西重分会に対しリボンや腕章の着用が来客等に奇異の印象を与えており、サービス会社の特殊性もあるので、早急に撤去するよう要求した外、その頃から同月二六日頃までの間に赤峰課長、安村職長、木下次長等から分会員殆んど全員に対し口頭を以て同様の要求をしたが、分会及び分会員等はこれを聞き入れず、その後約五〇日間に亘って着用を続けた。
また西重分会は同年一月から三月頃にかけて、しばしば会社構外の道路上で教宣ビラを配布して来たが、たまたま山崎分会長が三月四日の始業時直前たる午前八時二五分頃、被申立人会社工場内で、次いで同日昼の休憩時間中同会社従業員控室で「労働者の要求に会社は一日も早く有額回答を!」と題する分会員に団結を呼びかけるビラを各一回、総計一〇〇枚位を配布したところ、これに対して会社は同日付文書を以て、右配布は会社施設内で会社の意思に反して行なわれた挑発行為であり就業規則に違反しているから、厳に慎しむよう注意するとともに、後日責任を追求する旨の警告を発した。
なお西重分会は闘争体制に入って後、斯様にリボン等の着用及び教宣ビラ配布を行なった外、闘争の一環として、一時中止していた残業拒否を同月一六日頃から再開したり(残業拒否はその後五月三〇日まで続けられた)、同月二一日頃から会社正門近くの柵の外側その他に組合旗数本を立てたり、同月二六日には一日のストライキを、次いで同月二八日には午前中の半日ストライキを決行した。(なお西重分会はその後、後述のような本田光及び高岩英俊の転勤に抗議して四月一一日外一日にもそれぞれストライキを決行した。)
(3) 転勤
本田光は昭和三九年一一月被申立人会社に入社し、同四一年まで同会社本社サービス部整備課及び同部サービス課に在籍していたが、翌四二年北九州工場営業課に転勤し、同四五年再び本社業務部営業課に戻った。次いで配置転換により同課から本社営業部販売課に移り、その後同課で建設機械修理の受注、代金回収等のいわゆるサービス業務に従事していたものであって、数年前から被申立人会社に労働組合を結成しようと考え、会社従業員に対する学習会等による教宣活動を通じて、組合結成の準備を進め、西重分会が結成されるとその執行委員、教宣部長に就任して組合活動をしていた。
ところが被申立人会社では本社営業部販売課課長代理である小宮隆が一身上の都合により昭和四九年二月二〇日退社したため、小宮の次の席次にあって当時筑豊営業所長及び本社営業部販売課係長を兼務していた同営業所管内におけるサービス業務を担当していた本田隆三を小宮の後任として任命し、右販売課の業務に専念させようと考え、筑豊営業所長の兼務を解くことにし、その穴埋めとして本田光を筑豊営業所に転勤させることを決定し、同年三月二七日営業部次長柴田勲は本社会議室に本田を呼んで転勤を内示し、四月一〇日までに筑豊営業所に赴任するように指示した。本田は転勤を拒否したが、被申立人会社は予定通り四月一日の定期異動により正式の転任の発令をすることにし、同日本社応接室で社長から本田に対し転勤の辞令を交付しようとした。本田は辞令の受領を拒否したが、柴田次長等に説得されて一旦これを受領したものの、その直後西重分会長を通じてこれを会社に突き返し、右赴任期限経過後も青野部長、柴田次長等の再三に亘る説得にもかかわらず、任地に赴任しないで、引続き殆んど毎日のように本社に出勤していた。勿論会社から仕事をさせて貰えなかったため、終日ぶらぶらして時を過ごしていたが同年六月六日に至って任地に赴任した。
被申立人会社は転勤命令に違反して赴任しなかったことを理由として、四月一一日から六月五日までの期間を欠勤とみなして、本田に対して給料の支払いをしなかった。
高岩英俊は被申立人会社の本社サービス部整備課係長であって、西重分会が結成されると同時に副分会長に就任して組合活動をしていた。
ところで被申立人会社久留米営業所の管轄地域は従来福岡県大牟田市までになっていたのであるが、昭和四八年七月一日親会社である新菱重機株式会社の指示に基づき右地域を熊本県鹿本郡、山鹿市、玉名郡、玉名市、荒尾市まで拡張することになり、その結果、これ等の拡張区域内にある下請工場に建設機械整備の指導をすることを要するようになったのに伴い、同営業所に機械整備の技能を有する従業員を必要とするに至ったにもかかわらず、当時久留米営業所長及び本社営業部販売課係長を兼務していた安道忠臣はサービス業務畑の出身で斯様な技能を持っていないため、久留米営業所長の兼務を解いて斯様な技能を有する高岩を職長代行(管理職)に昇格させえ上、その後任に充てることを決定し、昭和四九年三月二七日柴田次長は本社会議室に高岩を呼んで転勤の内示をしたところ、同人は即座に承諾したので四月一日正式に発令した。
(4) 昭和四九年度夏季一時金の支給
西重分会は昭和四九年六月一七日被申立人会社に対し同年夏季一時金として、基本給の三か月分の支給を、次いで第二組合は同年七月基本給の三・五か月分の支給をそれぞれ要求した。これに対して、被申立人会社は同月一七日西重分会と第二組合の双方と団体交渉を開催し、それぞれその席上で右一時金は基本給の二・五か月分とし、同月二〇日支給する旨を回答したので両組合ともこれを承諾した結果、同会社は同日右一時金の支給をした。
ところで、被申立人会社が右一時金の配分計算をするに当っては、
<1> 基本給×出勤率×職級倍率×支給月数×考課率という計算方式をとる。
<2> 考課査定期間は一二月一日から五月三一日までとし、但し出勤率の計算期間は一〇月二一日から四月二〇日までとする。
<3> 出勤率は、
(イ) 無遅刻、無欠勤者を一〇〇パーセントとし、遅刻・早退は三回で欠勤一日とみなし、ストライキは欠勤とみなす。
(ロ) 欠勤回数二回までは出勤率九九パーセント、同三回までは九八パーセント、同四回までは九七パーセント、五回ないし六回は九六パーセント等々とする。
<4> 職級倍率は五職級一・〇七、六職級一・〇五、七職級一・〇〇、八職級〇・九〇とする。
<5> 考課については、
(イ) 年令、勤続年数、学歴、職歴は無関係とする。
(ロ) 考課査定者は第一次所属課長、第二次所属部長、第三次部長会議、第四次役員会とする。
(ハ) 考課査定は性質、技能、能力の三部門に分け、右三部門を九分類し、更にこれをそれぞれ五項目宛に分け、以上合計四五項目に亘って採点する。
(ニ) 右採点数八〇点以上をA、七五点ないし八〇点をB、七〇点をC、六〇点ないし六五点をD、六〇点以下をEとする。
<6> 考課については、支給月数の七五パーセントを一律とし、その二五パーセントを考課配分するということにし、以上の計算方法に準拠して具体的に一時金の計算を行なった。
ところが出勤率の計算期間である昭和四八年一〇月二一日以降同四九年四月二〇日までの間に、第二組合員は全然ストライキを決行しなかったのに反し、西重分会員は前述のとおり前後四回に亘りストライキを決行したため、このストライキの回数が欠勤回数とみなされた結果、西重分会員の出勤率は第二組合員のそれと比較して三パーセント悪くなり、これが基本給にはね返ってそれだけ基本給に格差が生じた。そして基本給には更に職級倍率、支給月数及び考課率を掛ることになっていることは前述した通りであるが、先ず職級倍率の点では、西重分会員中五職級(係長)三名、六職級(班長)九名、七職級一一名、八職級八名であるのに反し、第二組合員中五職級八名、六職級七名、七職級一一名、八職級一名であるから、西重分会の方が、第二組合員よりも不利益であり、次に考課率の点でも西重分会員はC、D、Eが多いのに反し、第二組合員はA、B、Cが多いから、西重分会員の方が、第二組合員よりも不利益であるから、前記基本給の格差は職級倍率、支給月数、考課率をかけることによって益々拡大し、西重分会員の実際に支給を受けた一時金は平均二・一〇二か月分しかなかったのに反し、第二組合員のそれは平均二・四〇七か月分であって、その間に平均〇・三〇五か月分の格差になった。
一時金の支給を受けた後、このことを知った西重分会はこれを不満として会社に抗議し、具体的配分方法の公表を被申立人会社に迫ったが、同会社はこれを拒否した。
(5) 団体交渉の拒否
申立人本部執行委員長毛利道隆は、前述のように被申立人会社が西重分会執行委員本田光を筑豊営業所に転勤させたことに抗議して、昭和四九年五月一八日文書を以て同会社に対し団体交渉を申し入れ、次いで申立人本部組織部長田中静夫は同月二七日及び二九日の再度に亘り電話を以て同会社に対し団体交渉の促進方を求めたところ、被申立人会社は同会社及び申立人支部間の当地労委昭和四九年(不)第二号事件で同年二月二日右当事者間の団体交渉については組合側交渉委員は西日本重機分会役員及び当面博多古賀地域支部役員一名とする旨の和解協定が成立しており、年来西重分会員に関する労働条件その他の事項については、この協定の趣旨に従って団体交渉を重ねて今日に至っていることを理由として、申立人本部の右申入れを拒否した。
第二 判断及び法律上の根拠
(1) 申立人等は西重分会員等の前記リボンないし腕章着用及び同分会長山崎高幸のビラ配布は、いずれも組合の八項目の要求に対する被申立人会社の回答を不満とし、これに抗議するため、分会の有する団結権及び団体行動権に基づいて行なった正当な組合活動であるから、被申立人会社がリボン等の着用をやめよと要求し、ビラ配布について後日責任を追求すると警告したのは、正当な組合活動に対する支配介入に当る旨主張し、これに対して被申立人会社は、従業員が客先に接触する機会の非常に多いサービス会社である関係上、従業員が前記リボンないし腕章のような異物を着用することにより、客先に奇異感及び不快感を与え、これが延いては会社の信用を失墜させ、不利益を被らせるおそれが非常に大きいので、か様なリボン等の着用は会社就業規則第五条第二号及び第五号に違反しており、従って会社がその着用をやめるように要求したのは当然の措置であるし、また会社施設内で印刷物を配布するには、右就業規則第五条第一三号の規定に従い会社の許可を受けなければならないにもかかわらず、前記ビラ配布は無許可のまま会社施設内で行なわれたのであるから、右規則に違反しており、従って会社が右配布について後日責任を追求すると警告したこともまた当然の措置である旨抗争する。
そこで先ずリボン等の着用について考察するのに、右リボン等の着用が使用者に対する抗議ないし示威と組合の団結を図る意図をもってされたものであることは前述したとおりであるから、それが団結権ないし団体行動権に基づく組合活動としてされたものであることは疑いを容れないところである。そうして、西重分会員等がか様にリボン等を着用することによって、職務の遂行上注意が散漫になり、支障を来たしたものと認めるべき証拠は何もないし、たとえ被申立人会社がサービス会社であって従業員が客先に接触する機会の非常に多い業種であるとしても、本件リボンないし腕章程度の色彩・形状・着用の態様等から見ても、社会的に容認し得ない程度の奇異感及び不快感を客先に与えたものとも思われないのであるから、右リボン等の着用は正当な組合活動であるというべきである。しかし、他面被申立人会社としては右着用が会社就業規則に違反していると誤解して、単にこれをやめるよう要求したのに止まり、別段組合活動にいいがかりをつけて着用者を威嚇したり、処分したりしたのでもないから、この程度のことであればむしろ会社の右要求は、使用者に許された言論の自由の範囲内に属するものと解するのが相当である。
次にビラ配布の点について考察するのに、右配布が始業時間前及び昼の休憩時間中、被申立人会社の工場及び従業員控室内で行なわれたことは前述したとおりであるが、元来これらの時間中は使用者の労働指揮権の及ばない時間帯であるから、その間は労働者の自由に委ねられるべきものである。ただ右配布は、被申立人会社の施設たる工場及び従業員控室で行なわれたものであって、この点に問題はあるが、その行為が使用者の有する施設管理権を侵害するのは、その行為をすることによって経営秩序が乱され、企業活動に支障を生ずる場合に限られると解すべきところ、本件ではか様な経営秩序が乱され、企業活動に支障を生じたことを認め得べき証拠はないのであるから、たとえ事前に会社の許可を受けていなくても、右配布行為は正当な組合活動に当るものと言わざるを得ない。ところが、これに対して被申立人会社が文書を以て、後日責任を追求すると警告したことは一種の威嚇であって、か様な威嚇をすることは同会社に許容される言論の自由の範囲を逸脱したものであって、西重分会長山崎高幸の正当な組合活動に対する支配介入に当ると見るべきである。
(2) 申立人等は、被申立人会社が西重分会の生みの親で、同分会の執行委員、教宣部長の役職にある本田光、及び同分会副分会長たる高岩英俊を一方的にそれぞれ筑豊営業所及び久留米営業所に転勤させたのは、組合破壊の意図に出た本田に対する不利益取扱いたると同時に組合運営に対する支配介入である旨主張し、これに対して被申立人会社は右両名の転勤は組合破壊の意図に出たものではなくして、専ら会社経営上の必要に出た適法な行為である旨抗争する。
そこで先ず、本田関係について考察するのに、前述のとおり同人は数年前から被申立人会社内に労働組合を作ろうと考え、会社従業員に対する学習会等による教宣活動を通じて組合結成の準備を進め、組合が結成されるとその執行委員、教宣部長に就任して組合活動を行なって来たものであり、筑豊営業所に転勤になれば組合員の大半が、下和白の本社及び工場に集中していて、右営業所には一名もおらず、且つ久山町の自宅から自家用車で本社に通勤すれば約二〇分しかかからないのに、筑豊営業所までは約四〇分かかるため、同人の組合活動に若干の支障が生ずることは否めないけれども、四〇分程度の通勤時間は福岡市程度の都市では至極普通の通勤時間であるから、別段わざわざ久山町から飯塚に転居までする必要がなく、出勤時間前及び殊に退社帰宅後に組合活動をする時間的余裕もかなりある上、組合員に対する連絡手段としては電話等もあることを思えば、転勤によって生じる本田の組合活動の右支障はさしたることのないことが充分にうかがわれ得る。
ところで被申立人会社では本社営業部販売課課長代理であった小宮隆が一身上の都合により昭和四九年二月二〇日退社して欠員を生じたため、小宮の次の席次にあって当時筑豊営業所長及び本社営業部販売課係長を兼務して、同営業所管内におけるサービス業務を担当していた本田隆三を小宮の後任として任命し、右販売課の業務に専任させようと考え、筑豊営業所長の兼務を解くことを決定したため、本田の後任として同営業所にサービス業務を担当するベテラン一名を補充する必要が生じたので、被申立人会社はその選考を進めた結果、席次だけから見ると本田よりも中島係長の方が上司であるが、同人は工場出身者で長年間資材購買関係の業務に携って来たけれども、営業課に入ってから日が浅いため、サービス業務の経験が少なく筑豊営業所管内における事情にも疎いのに引き換え、本田は昭和三九年一一月被申立人会社に入社し、同四一年まで同会社本社サービス部整備課及び同部サービス課に在職していたが、翌四二年北九州工場営業課に転勤し、同四五年再び本社業務部営業課に戻った。次いで配置転換により同課から本社営業部販売課に移り、その後同課でサービス業務に従事していたものであって、右業務のベテランである上、筑豊営業所の開設された昭和四八年一〇月までの約一年半の間、本社営業部に在籍しながら筑豊地区におけるサービス業務をも担当して、同地区内における事情にも精通しており、同人が日本共産党候補として久山町町議会議員選挙に出馬するため休職していた昭和四八年九月頃まで、むしろ筑豊営業所への転勤を希望していた経緯もあったこと、及び同人は父母兄弟は勿論妻子等の係累もない身軽な独身者であって、筑豊営業所への転勤を不可能ないし困難ならしめる一身上の事情もなかった事等を勘案して同人を最適任者と認め、転勤を命ずるに至ったものであることが認められる。
次に高岩関係については、同人は西重分会の副分会長であったのであるから、同人の転勤によって同分会が打撃を蒙ることは避けられないであろう。しかしながら被申立人会社が同人に転勤を命じたのは、従来久留米営業所の管轄区域は福岡県大牟田市までになっていたのを、昭和四八年七月一日親会社新菱重機株式会社の指示に基づき、熊本県鹿本郡、山鹿市、玉名郡、玉名市、荒尾市まで拡張したのと及びこれに伴ないこれ等の拡張地域内にある下請工場に建設機械の修理の指導をしなければならなくなった関係上、同営業所長には整備の技能者を必要とするに至ったのであるが、従来の同営業所長兼本社営業部販売課係長安道忠臣はサービス業務畑の人物で、か様な技能をもたないことから同人の久留米営業所長の兼務を解いて、整備の技能者と入れ替えることを決定したのであるが、その後任としては予てから勤務成績が抜群で、係長中次期管理職の筆頭候補に挙げられていた本社サービス部整備課係長高岩を抜てきして職長代行(管理職)に任命した上、久留米営業所長として転勤させることにしたことが認められる。
そうだとすれば、前述のとおり予てから被申立人会社が申立人等及び西重分会の闘争主義に嫌悪の念を抱いていたことから考えて、同会社が本件転勤命令を発するに当っては、本田等の組合活動に支障を与え、申立人等及び西重分会の弱体化を生ずべきことを認識しながら、敢えて発令したとまで考えるのは必ずしも相当ではないけれども、か様に本田等の組合活動に支障を与え、申立人等及び西重分会の弱体化を図ることを本件転勤発令の決定的動機としていたことは到底認めることができず、むしろ右命令の重要な理由はその業務上の必要からされたものと認めるのが相当であるから、右発令は労働組合法第七条第一号又は第三号の不当労働行為を構成しないものといわざるを得ない。
尤も昭和四九年四月一日の定期異動の際、本田・高岩と同時に転勤を命ぜられた従業員は右両名を除き五名であって、そのうち西原卓生、松田千春、山崎弘子、柳井嘉寿満の四名は西重分会会員であったのに反し、第二組合員はわずか末弘林平ただ一名にすぎなかったのであり、この点から見て、申立人等の主張するように本田、高岩の転勤命令は被申立人会社が特に組合の弱体化を狙って行なったものではあるまいかという疑いの生ずる余地がないではないが、西原及び山崎は家庭の事情及び本人の希望で北九州工場から本社への転勤を強く希望したため、松田は先に二年間の期限付で本社から北九州工場に転出させていたところ、今期この期限が到来したため、また従来被申立人会社では従業員のマンネリ化を防ぐため、略々二年間程度の周期を以て人事異動を行なうことを慣例として来たところ、柳井及び末弘はいずれも本社在籍が二年以上になるので、右転勤者の欠員を補充するためにそれぞれ転勤を発令したもので、被申立人会社の業務上の必要に出たことが認められるので、申立人等のこの点に関する主張は理由がない。
なお申立人等は被申立人会社が事前に本田、高岩及び申立人等と協議してその同意を得ることなく、一方的に本田・高岩の転勤を発令したことを非難するけれども、同会社のように複数の工場事業場を有して、経営の必要上毎年定期的にこれ等の工場事業場間に人事異動を行なっている場合には、労働契約を締結するに当って、労働内容が使用者側の指示命令により一方的に変更されることは当然契約当事者間で暗黙に了解されているものと解するのが相当であるから、本件で被申立人会社が本田、高岩に転勤を命ずるに当り、事前に本人等又はその所属組合と協議し、その同意を得ることなく一方的に発令したからといって、これを不当として非難することはできないこと勿論である。
(3) 申立人支部は、被申立人会社が昭和四九年夏期一時金の計算に当り、西重分会員の決行したストライキを欠勤扱いして、同分会員の基本給を第二組合員のそれより低く押え、且つ考課の点でも同分会員を第二組合員よりも悪く採点して不当に不利益な取扱いをした旨主張し、これに対して被申立人会社は、一時金は労働の対価であるから、ノーワーク・ノーペイの原則に従いストライキを欠勤扱いすることは当然の措置であり、また西重分会員の考課採点数が悪いのは前者の勤務成績が悪いからであって、同分会員を不当に不利益な取扱いとしたおぼえはない旨抗争する。被申立人会社が本件夏期一時金の計算に当って前述のように全面的に右原則を適用し、前記認定のように昭和四八年一〇月二一日以降同四九年四月二〇日までの出勤率計算期間中に、西重分会員の決行したストライキ四回を欠勤四回とみなした結果、西重分会員の出勤率は同期間中に全然ストライキを決行しなかった第二組合員のそれと比較して三パーセント悪くなり、職級倍率も考課率も西重分会員の方が第二組合員より不利になっているため、益々格差を拡大させた結果西重分会員の実際に支給を受けた一時金は平均二・一二か月分しかなかったのに反し、第二組合員のそれは平均二・四〇七か月分であって、その間に平均〇・三〇五か月分の格差になったのであるが、その算式がかねて用意されたものとはいえ、それは組合が結成され、ストライキの事態が想定されていない場合の算式であって、組合のストライキを欠勤とみなして、その算式をそのまま適用することは合理性に乏しく、このことはかねてから被申立人会社が西重分会の闘争主義を嫌悪していた事実を思い合わせると、被申立人会社が同分会の決行したストライキを欠勤扱いした措置は、右ストライキに対する制裁として行なわれた不利益取扱いであって不当労働行為を構成するものといわざるを得ない。
(4) 申立人本部は、申立人支部及び西重分会を統制、指導する職務権限を有する上部団体であって、これらの下部機構とは別個の存在であるから、たとえ西重分会員の労働条件等に関する団体交渉の方法について被申立人会社及び申立人支部間に同会社主張の和解協定が成立したとしても、申立人本部は右協定によって何等の拘束をも受けるいわれはないのであり、従って申立人本部が西重分会員の関係事項について被申立人会社に対し団体交渉を申入れた以上、同会社はこれに応ずべき義務を負担しているにもかかわらず、これを拒否したのは不当労働行為に当る旨主張し、これに対して、被申立人会社は全国金属の組織はすべて個人加入であって団体加入ではない、従って、本部、支部、分会といってもそれ等は相互に上部、下部の関係にある別個の存在ではなくして、全国金属労働組合という単一の組織の部分にすぎないから、申立人支部及び被申立人会社間に前記和解協定が成立した以上、右協定は当然申立人本部を拘束するので、被申立人会社は申立人本部からの団体交渉申入に応諾すべき義務を負担しない旨抗争するので、按ずるのに、各自がそれぞれ一定の組織及び規約を具備している点に徴して、申立人本部、同支部及び西重分会が相互に上部、下部の関係を有する別個独立の団体であることが明らかであるから、それ等は自己の組合員の労働条件等に関して、別個の団体交渉権を有しているというべきであるが、昭和四九年(不)第二号事件の和解協定において、組合側交渉委員は西重分会役員及び当面、博多古賀地域支部役員一名とすることが示され、これを会社及び申立人支部が了承していたのであるから、被申立人会社がこの和解協定の方式に従って団体交渉をすればよいと考えたのは無理からぬところである。
以上の次第であるから、被申立人会社が西重分会山崎分会長のビラ配布に対し、後日責任を追求する旨威迫して、同分会の活動に支配介入した行為は労働組合法第七条第三号に、昭和四九年夏季一時金につき、同分会員の決行したストライキを欠勤扱いにした措置は同条第一号にそれぞれ該当するが、其の余の行為は同条に該当しない。
そこで諸般の事情を斟酌した上、被申立人会社のした右不当労働行為について、これを陳謝する旨の文書を申立人等に交付すべきことを同会社に命ずるのを相当と認め、同法第二七条、労働委員会規則第四三条の規定に基づき主文のとおり命令する。
昭和五〇年七月二九日
福岡県地方労働委員会
会長 副島次郎